働き方が多様化するなかで、専門医は取るべきか?大学院にははいるべきか?という質問を後輩先生からよく受けます。
私は、もともとは大学の医局で専門医を取得し、博士課程も修了し博士号を取得するという、「超王道」を走ってきました。
今は、医局を卒業して、なかばフラフラしていますがこのキャリアの人間から見た専門医・博士号への考え方を、私見を福豆ながら述べます。
専門医の必要性
医師になった瞬間から、行えない医療行為はほぼありません。
学会認定などが推奨されている手技・薬剤は存在しますが、別になくても日常診療に困らないものが多いというのが現状です。
仕事が余っているような供給過多の場所では、特に専門医の必要性は感じることは少ないかもしれません。
医局をはなれて、地震で就職先を探す際には専門医を持っているというのは一つのステータスにはなり得ますが、それだけで雇用側が医師のスキルをはかれるとも当然考えていないと思います。
一方で、医師のスキルを図ることは雇用側からすると非常に困難と言わざるを得ません。
孤高の敏腕ドクターも周囲との協調性なくては、雇用側からすると頭を抱えることになりますし、いくら論文で有名な先生でも、日常診療に問題があるようでは使い物になりません。
求人に目を向けますと専門医を持っている方が優遇されている印象はあります。
その点で、もし将来的に医局や大病院の後ろ盾をなくして自分で就職先を探していこうと考えるのであれば、専門医はあってもいいのではないかと思います。
また、それを目指して勉強することは有用です。
日常診療では頻度が低くても知っておかなくてはいけない疾患も存在するため、座学は避けては通れません。
博士号の必要性
こちらは、さらにその必要性が明確ではありません。
昔から、足の裏の米粒と言われるような存在で、「気にはなるけど、とってしまったら米粒」程度という存在です。
諸先輩からは”我慢を学ぶ場”などとも言われていましたが、確かに、取得してしまうと別に何も感じないというひしぎな資格です。また、これがあって就職・収入面で何かメリットがあったか?といわれると明確に「ない」と言い切れます。
ただし、ものの考え方、論文の読み方・医学への向き合い方を変えてくれるものではあります。
日常診療はともすれば、毎日同じことを繰り返してしまうと、「作業」になってしまうときがあります。作業になると途端に仕事がつまらなくなる瞬間があります。そのときに、大学院に行った経験からの日常診療への疑問・論文検索・精査・学びからのoutputによる刺激を享受することがあります。
就職という意味で博士号が役にたっと思った瞬間はありません。0です。
”資格をとりにいく”ということ
<>専門医や博士号といった資格は、あくまで自らそれを目指して取りに行くというよりも、結果として付いてくるものと考えられた方がいいと思います。
もちろん、それを取得するために勉学に励むことは大事だと考えていますが、それにこだわりすぎて、なんとか取得したはいいものの、称号があるのにない人と比べてそれほど差がない方が、むしろかっこ悪いです。
ですから、あくまで名乗りであり、大切なことはそこをスタートラインとして捉える気概であると感じています。
教育の逆説でも述べられていますが、学んだものにしか、その学びが何にに役立つのかわからない以上、事前に専門医や博士号が自分にとって本当に大切かどうかを判断することはできないと言えると思います。
まとめ
私も含めて、アラウンドゆとり世代は、自分にとって有益かどうかを動機としまいがちです。
ですが、将来何の役に立つかわからない点と点が線のように結びつくことがあると、Appleの創始者である、スティーブ・ジョブズも述べています。
やってみないとわからない、だが、そこには大きな犠牲を伴いうる選択であることは間違いありませんので、ご自身の将来像と重ねてご検討いただけますと幸いです。
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