お仕事整形外科医のこれまでの経緯・プロフィールを紹介します。
ブログの目的
本ブログは、下記の3つのことをお伝えするために運営しています。
- 仕事では「整形外科医」だが、家庭では「普通の父」。子育て奮闘記を残したい
- セルフ出版・ブログ運営をはじめとした、医師の情報発信の重要性・ノウハウを広めたい
- 自分のため・子供のために、「経済的自由・自立」を目指す過程で学んだことを伝えたい
このブログを始めた、原動力の詳細はこちら 運営する目的
簡単な経歴
中学生時代までは、絵に描いた優等生
自分を世界の中心だと勘違いして、しっかり中2病。
学力は優秀・先生の言うことは絶対・自分が正しいと思うことは絶対正しいと考える人間
高校生で挫折
高校で、もっと賢い人たちがたくさんいることに気づく。
当初は、努力でカバーするも、彼女ができて急転落。
部活と彼女に明け暮れる毎日で、ほぼ勉強0。
夜中に彼女を自分の家に招いて、朝方に家に送るなど遊びふける。
「こうやって、人生転落していくんだなぁ」と転がり落ちていく自分を客観視する。
なぜか医学部を目指す
何をしたいのかもわからずに遊びふけるも、高校3年生の夏に彼女との交際が終了し、勉強がスタート。
高校2年生の途中までは、成績が良かったこともあり、なんとか医学部に合格する。
医学部を目指したきっかけは、数学が好きで、理学部に進もうと考える。
しかし、進路指導で高校の先生に大学で理学部を卒業した後の就職先を相談したところ、
「教師かトンネル掘り」と、わけのわからない回答をされたことがきっかけとなり、将来のビジョンが見えない学部に進むのをやめ、手に職があって、なんとなくかっこいい医学部を志す。
この時から、学校の教師に対する不信感も抱き始める。
学校教育と家庭の教育(学校の限界)
常識を疑いだす。
大学生時代
高校時代の反省を生かし、大学ではよく勉強する。自分の好きなことであれば勉強は楽しいと言うことに初めて気がつく。
大学時代は、これまであったことがないタイプの人間と関わり、人生観が一変。
スキーなどの趣味・またもや彼女に、貯めてきた50万円近い貯金を使い込み、財政が困窮。
初めて、ガスをとめられ、真冬に冷水シャワーを浴び、頭痛を経験。風呂の外(部屋)のほうが暖かいという不思議な体験をする。
借りていたアパートからも出されそうになるも、アパートの引き落としの前日に仕送りが入り、なんとか出されずに済む。
しかし、1ヶ月分の仕送りが1日で消滅し、40円で1ヶ月を過ごすという修行に入る。
研修医時代
ひたすら救急医療に明け暮れるまいにち
研修医時代は中核都市で、救急を中心に学ぶ。
もともと内科医になりたかった私は、とにかく内科の知識をつけようと尽力。しかし、同じく内科医をめざす同期の研修医の先生方の賢さに愕然として、内科の道をすんなりあきらめ。
そんな時に、整形外科と出会う。
なんか、かっこいい。なんかたのしそう。
整形外科医の先生は、とにかく忙しいにも関わらず、病院で一番楽しそうに仕事をしているというイメージ。
自分もそうなりたいと思い、整形外科医の道を志す。
ちなみに、”理由は単純な方がエネルギーがある”と、考えています。
整形外科医としての道をスタート
こうして、やめることから始まった、整形外科医としての道がスタート!
外傷に明け暮れる毎日
とにかく、緊急のオンパレード
どこかに出かけても、コールが鳴り出戻る日々。
同じ手術に携わることも多くなるなか、将来自分が整形外科の中で
何を専攻していいか考える時間もないほど忙しいことに気づく。
一念発起し、大学院へ
大学院に入り、研究をしながら、将来についてゆっくり考えようとたくらむ。
しかし、臨床をしながら研究をするという状況であり、とてもゆっくりできる状況ではないことに気がつく。
大学の医局では、いじめられる
当初は、中堅医師にいじめられる(現在では、自分にも問題があったと自覚)。
具体的には、
- 飲み会に誘わないなどの仲間はずれ
- 陰口
- 学会発表の前夜2時に電話で説教(酔った中堅からのマウント説教)
この医局では、自分のプライベートなことは後悔せずに生きていこうと心に誓う。
隠し通したこと
- 結婚
- 妻の出産(出産はすべて立ち会う)
- 育児(手術の待ち時間に、家にかえって子供を風呂に入れたり)
- 家族とすごす、家の住所
医局に属している間、大学と関連病院で手術しながら論文書いて、学会発表するという典型例。
人の倍働くことで、自分のポジショニングに成功。
上級医から認められ始めると、「意志のない中堅」はいじめはなくなる。
関連病院時代に、医局内の年間手術件数トップになる
- 仕事はしっかりやる(むしろ倍やる)
- 医局内手術件数1位
- 論文は、書けと言われる前に自分で書く
- 飲み会にはいかない
- あまりやっている人が少ない分野に手を出す
- 不要な付き合い誘われないので後輩から、うらやましがられる
- 後輩からの信頼は高め
医局所属中は大学院卒業・専門医取得
医局に所属している間、結婚して子供ができました。
しかし、すべて医局員には「ひた隠し」にし、そのまま医局を卒業。
人生観の変化
結婚して子供ができる。
A new member has joined the family.
子供ができたことで、人生観が変わる。
さらに、出産の時期に親に助けられた経験から、
『家族のため・自分のために、仕事以外の自由な時間を持つ必要がある。』
と気づき、不労所得の重要さに気がつく。
自分の中で何が重要かを断捨離した結果、家族と過ごす時間が大事なことにきがつく。
経済的自由・自立を目指す理由
以下の3つの考え・理由からです。
- 時間は非常に貴重なものである
- 家族のための時間を得る(困ったとき、助けてあげられる時間と経済力)
- 自分の好きなことを、とことんやるため
「好きなこと」は、「自分の趣味」もそうですが、「社会問題に対する活動」や「誰かのためになること」、「医学的な研究や研鑽」であっても、必ずしも「お金になる」とは限りません。「トコトンやりたい好きなこと」が見つかった時に、経済的に自由であることは有利に働く可能性があります。
これから、私は何が好きになるかはわかりません。今やっていること以外に、自分の役割を見出す時が来るかもしれません。
人生の中で「やりたいこと」は変わるものですし、変わってもいいものと、考えています。
現在、株式投資・セルフ出版・出版サポート・それ以外にもビジネスを2つほど展開しています。
資産の定義<
当ブログでは、資産はあくまで、”私のポケットにお金を入れてくれるもの。”とします。
つまり、自宅や所有している車、時計などは資産に含んでおりません。
(私の家は完全に自宅の住居用ですし、車が直接お金を産むことはありません。)
引用文献
改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)
仕事としての整形外科医
整形外科医はあくまで仕事。
名前の由来は、
- 「仕事」である以上「プロ」として、責任をもって、業務をおこなっていく覚悟
- 仕事は整形外科医。家庭では、単なる「父」(”医者だから”家事・子育てしないのは、論外)
- 仕事としての整形外科医以外にも、投資を行いキャッシュを増やすという目標
ネガティブなイメージではありませんのでご了承ください。
また、私は整形外科医としての仕事にも誇りを持っています。
なので、あくまで経済的自由を目指しているというところです。
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