時代が変わり、『終わった』常識

時代は、この2.30年で大きく変化しました

常識は一変し、もはや教授クラスの常識は、現代の非常識とも言えます。

働き方・セクハラ・パワハラを含めたモラル・家庭。

爺医の”おれなんて昔は”から始まるお説教は、まさに昔話。 現代に持ちこむと途端に問題視されます。

サザエさんも今は昔。突然、『今日飲んで帰るから』と言って、同僚と飲んで帰るなんてまずあり得ません。

家族のために遅くまで仕事するのが美学の時代は終わった

家族のために、お父さんが家庭をかえりみず遅くまで残業する時代は終わりました。

企業は残業代を出したくないし、ブラックだと言われたくないので早く帰宅させようとさせます。

もちろん医療業界はそうでもありませんが、毎日帰りが遅いと、

仕事を頑張っている人ではなく、

家庭の仕事をサボっている人という扱いを受けることがあります。

事実、私の周りにも3連当直日直後に、久しぶりに家にかえると、”たくさん働いてきた夫”というよりも、”3日間家事と育児をしていない人”というお迎えを受けるようです。

なら、さっさとやることだけやって帰宅する方がいいに決まってます。(例にあげたような、当直は仕方がありませんが)

たくさん働けば、生活が楽になる時代は終わった

たくさん働けば、それだけ生活が楽になるという時代は終わりました。 はたらいても、どんどん税金はあがります。

爺医の頃は税金も今よりもやすく、金利もよかったので、銀行にお金を預けていればどんどんお金は増えていき、生活は楽になったと思います。

しかし、私たちの確定申告の紙をよく見てください。

控除は年々減少し、いつの間にか配偶者控除も無くなりました。

昔はなかった、介護保険料も40歳から徴収されます。ということは、今介護保険を利用している人は、私たちよりも収める額は少なく利用しているわけです。

事実、生まれた年代が違うだけで、生まれた瞬間に同じ社会保障を受けようと思うと、うん千万円税金の支出がちがうとう試算もあります。

もちろん、義務感、責務感をもって仕事に望まれている人を否定するわけではありません。

ですが、ご自身の体を壊したり、大切な人を大切にできなかったり悲しませたり(あなたが元気でいなくなると悲しむ人も含めます)するくらいなら、少し肩の荷をおろせる時間を増やしてもいいのではないかとも思います。

予防可能な人もいるのに、備えない人がいる事実

世の中には、将来が不安だと言いながらも、それに備えない人も存在します。

もちろん、体のことを含めてどうしても働けない人、助けが必要な人は存在します。そう言った人たちに、手を差し伸べることに異論はまったくありません。むしろそれができない世の中は世も末です。

しかし、そうでもないのに、制度に甘えている人。不安を言いながらも、備えをせずに将来周囲に頼らざるを得ない人がいるのも事実です。(極端な例では、将来不安だけどキャバクラに頻度よく通い続けている人だっています。)

そういう人のために、どうしても助けが必要な人たちにも悪影響が出たりもします。

また、備えてこなかっただけ人たちに、一生懸命備えてきた人から徴収した税金をつかって、養うことがあることも事実です。

つまり、備えてこなかっただけの人とも、無理やりすこしでも平等になるようにお金は動くのです。

では、どこで差をつけるか。それは経済的な自由だと思います。

そのためにも、私たちは、フリーキャッシュフローを生み出し、ポケットにお金を入れてくれるフローを作り出す必要があります。

なぜ、セミリタイヤを目指したのか? なぜ、セミリタイヤを目指したのか?

まとめ

この記事を読んでくださる方は、何か違うということに気づいている人だと思います。

大切な人と、大切な時間を過ごすためにも医師というベーシックインカムを最大限に利用しつつ、マネーマシンとなる資産を形成してください!


コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。*印が付いているものは必須です。

プライバシポリシーに同意し、コメントを送信する*