お仕事整形外科医です。
タイトルがしんみりしていますが、別に何かあったわけではありません。
もともとメモ魔な私が、将来子供に伝えれるといいなぁって思ったことをメモしているだけです。
これを公開する必要もないのかもしれないですが、何か皆さんのヒントになればいいかな?って思って公開してみました。
ちなみに、この記事は更新されながら肉厚になっていきます。
当然子供が大きくなれば学ぶことも、伝えたいことも変わってきます。
そんな中で、すこしずつ増やしていければいいと感じています。
子育てをして学んだこと
私は、よくいう「王道のキャリア」からはがっつり外れてしまいました。
現在は週に4日しか働いていませんし、当直もしていません。
土日は働きませんし祝日もバイトしていません。
仕事以外は子育てを中心とした生活をしており、家族の時間を超重視しています。
しかし、子供と向き合う時間が増えるほど、子育てに悩むことも多くなります。
そもそも、向き合う時間が少ないと気づかなかったような悩みがおおいのですが、「成長のきっかけを与えてくれた」とおもって前向きに捉えています。
子供と向き合っていると、どうしても細かいことが気になってきます。
「怪我しないように」とか、「将来のために」とか、いろんなことを伝え教えていると子供が萎縮してしまうと感じてしまう時もあります。
子供は、何がよくて・何が悪いかもわからないため、大人の当たり前を言い出すと混乱してしまいます。
本当に大切なものって何なんだろう?最低限の部分
やっぱり、子供だけでなく人に物を伝えるときには本当に重要なことを伝えたほうがいい。
また、子供の場合には、子供の人生があるので大枠としての本当に大切なことを伝えて、あとは自分の価値観を育んでもらえればいいかなと思います。
今回、子供に伝えたいことを3つ選びました。
- 人のものをわざと奪ったり・人をわざと傷つけるのはダメ
- クスリと借金の保証人はダメ
- 自分を大切にしないのはダメ
ですが、子供にもわかるようにかつ、シンプルに伝えるならこんなもんかな?と思います。
ここからは子供が体験に応じて学んでいくのではないかと思います。
とくに親(私だけ?)は、子供のしてはいけないことばかり気が行きがちで、子供自信が自分を大切にすることを教えることを忘れてしまいがちなように感じます。
子供は、親からすると「かけがえのない宝」です。
子供自身が自分を傷つけたり責めたりする行為は、本当に辛い気持ちになります。
学校での評価は、あなたの本当にごく一部だけである
学校に行き始めるとどうしてもテスト、評価が付きまといます。
学校での評価はあくまで学校という尺度のなかでの話であり、人間のすべてを評価しているものではありません。
成績の良し悪しは、自分の将来やりたいことの選択肢を残すためのツールの一つでしかありません。
たしかに、最低限の読み書き、英語や算数については絶対的に必要であると思います。
しかし、それ以上の教育については、必ずしも高学歴だから将来裕福だったり、心にゆとりをもって生活しているものではないとおもいます。(現に高学歴の貧乏なんてたくさんいます)
学校教育では教えてくれないことで、生きていく上で重要なことは山ほどあります。
しかし、将来やりたいこと、やれることの選択肢を長い時間、一つでも多く持っていたいなら将来役に立つかわからないことも勉強しなくてはいけません。
やりたいことは時間の経過とともに変化します。やりたいと思った時に選択できるようにしておくには、ツールとしていい成績という武器をもっておく必要があります。
ですが、あくまでそれ以上ではないと思います。
学校はひろい世界ののごく一部
学校は一人の大人(教師)が見るべき生徒の数が非常に多いため、「平均的な人間を育成する」・「減点方式」にどうしてもなってしまいます。
これは、先生が悪いわけではなくどうしてもそうならざるを得ない部分があるのです。
なので、いいところを伸ばすのは家庭であり、親の役目と考えます。
なにか好きや得意をみつけて、それを育むのは、「学校だけでしかやれないこと」ではありません。
学校が世界の全てと思っていると、学校がダメになると逃げ道がありません
人生には逃げ道が大事
これは、私もよく親から言われた言葉です。
つねに逃げ道を用意することは、非常に大事です。
逃げ道がないとすぐに心が詰んでしまいます。
適切なリスクをとるためにも、逃げ道を確保しながら進んでいくことは重要であると思います。
なにかを途中で止めること、投げ出すことは決していつも悪いことではありません。
やめる勇気を称えることも大事です。また、何故そうなったかを振り返ることも大切です。
親・学校の先生がいうことが必ずしも正しいことではない
親や学校の先生も人間です。
教えられること、褒められることの中には、大人の事情が見え隠れすることがあります。
例えば、「転んで泣かなくてえらいね」という言葉。
よく聞く言葉ですが、よくよく考えると何が偉いのでしょうか?
そこには、「子供に泣かれると大変」という大人の事情が見え隠れしているように思えます。
親や学校の先生も人間です。
間違ったこともいいますし、おかしくなる時もあります笑。
言われた言葉の中で、自分が信じたいものを選んで自分を作っていって欲しいです。
自分で選ぶことが「個性」に繋がり、あなたを作っていくはずです。
常識は発信元不明情報
「常識」はどの時代にも存在します。
しかし、時代を超えられる常識はそれほど多くありません。
そもそも常識とは、誰がいつから言い出したかわからないような、医学で言うとあきらかに信頼度の低い情報の集まりであり、とかく法律などで文面化されていないものにはほとんど意味を持たないと思った方がいいと思います。
しかも、この常識というやつの厄介なのは、そのとき常識に従っても、その後変化したときに誰もその責任を負わないところです。
そんな情報に振り回されるよりも、自分の信じた道を進むことに精を出した方がいいと思います。
信念はもて。でも、疑え!そして、変わってもいい
信念は人間としての芯の部分であり、周囲に流されないようにするためには大切なものです。
一方で、信念や正義はときとして間違っていることがあります。
時代の変容によっても何が正しいかは変化しますし、そもそもだれかに植え付けられた間違った正義である可能性もあります。
人は、自分が正義と感じた時に、抑制のたがが外れて、人に対しておこなう攻撃の度を超えることがあります。
だれもが日本で教育を受けている限り、人を傷つけることに少しは抵抗があるはずです。
自分が悪であると感じている間は、どこかに後ろめたさを持ちながら人を傷つけるため制限がかかりますが、自分が正義だと感じたときにそのリミッターは解放されてしまいます。
なので、自分の信念は持ちながらも自分で常に疑う。さらには、ある程度の柔軟さも必要であると思います。
人に流されると、柔軟であることは似ていますが非なるものです。
まとめ
半分自分の備忘録な気がしますが、子育てはだれもが初めての経験で、人生でそう何度も何度も経験できるものではありません。
そう考えると、どこかの誰かのためにならないかな?とも感じています。
当然、教育や子育てはどこをゴールにするかで方法は変わりますし、絶対的な方法はありません。
あくまで1例報告です。
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