昨年、新型コロナウイルス感染症による経済的ダメージに対して政府は、1人10万円の一律給付を行いました。
一律給付にした理由としては、給付が必要な人と不要な人の線引きを決定することが難しく、迅速な援助を必要とする人を助けるために、簡便な手続きで給付が行えるようにするためです。
最近、2回目の緊急事態宣言発出にともない、一律給付金も2回目を希望する声が上がっています。
一律給付金によって広がる格差
一律給付金は、貧困に喘ぐ人たちの助けになる一方で、お金に余裕のある人たちにとっては、その資金力を利用してさらにお金を産むための資産、つまり金のなる木を作り出すための道具として利用されます。
実際に給付を受けた人たちの中で、株を購入した人たちの声がSNS上に溢れていました。
さらに市場にお金が大量投下されると、現金しかもたない層つまりお金に余裕のない層のお金の価値は相対的に目減りしていきます。
逆に資産を持つ層の資産の価値は上がっていきます。
こうやって貧富の差は、一律給付金を供給すればするほど広がっていきます。
世界的にもマネーサプライ(市場への現金供給)が膨張していますので、世界経済に株式投資している層はますますお金持ちになっていくという状況です。
貧富の差が拡大しているという矛盾
ここまでお話しすれば、お金に余裕のない層の人たちが「一律給付金をくれ!」といいながら、「貧富の差が広がっている!」と言っていることの矛盾に気づいていただけるかと思います。
つまり彼らは、「貧富の差を拡大してくれ!」といいながら、「貧富の差が広がっているのはなぜだ!!?」と喘いでいるわけです。
確かに、このループから抜け出すことは容易ではないかもしれません。何か理由がってそうなってしまうこともあり、そう言った人は積極的に救うべきです。
さらに、明日は我が身であることも事実です。
しかし、中には、「できるのにやらない」、「リスクをとらない」、「人になんとかしてもらおうとするだけで己の努力はしない」と言った人たちも紛れています。
そういった人と、本当にできなくて救済が必要な人が分けられればいいのですが、残念ながら一律給付ではそれもできないというジレンマがあります。
私は、社会保障や生活保護については反対の意見はなく、必要なものだと思います。先ほどもお伝えしたように、明日は我が身で、セーフティネットがしっかりしていることは安心にもつながりますし、人は困った時には助け合う必要があるとおもいます。
一方、この仕事をしていると、「働けるのに、ご自身の怠慢から生活保護から抜け出さない」という人間が一定数いるように感じます。
そういった人たちがはびこることで、本当に救済が必要な人たちへの資金や支援が削られているのはなんとも歯痒く感じます。
政府のいう「自助」は悪なのか?
近年、政府が「自助」の重要性を説くと、途端に控除が優先だ!と騒ぎ出す人もいます。
たしかに、公助は必要ですが、それだけに頼っている人のなかに、自分の努力を怠っている人も紛れています。
日本は、すでに一昔前のような裕福さはないと、誰もが感じる時代においては、自助をする・しないで差が広がっていくのはある意味で当然と言えます。